掲載日:2013.05.17
家畜および人において、感染症の制御・制圧には集団レベルでの疾病状況の把握、リスク因子の特定、数理モデルの応用による発生初期の発生拡大予測や介入前の効果予測、そして疫学的エビデンスに基づいた介入の実施と効果判定が重要です。また、疾病の経済的あるいは社会的被害の定量化と、制御オプションの費用対効果の計算は、公的資金の投入を伴う介入方法の検討には不可欠であると考えられます。
獣医疫学ユニットでは、このような公衆衛生・家畜衛生対策における意思決定に関する研究を実施しています。ここでは、別立てで説明する発展途上国における人獣共通感染症、食品衛生に関する研究、日本での精神保健学および社会経済学的研究、東日本大震災対応以外について、これまでの取り組みを紹介します。
2010年には、医学・獣医学のみならず広い分野で注目されている「都市周辺部」について、無作為抽出した地域を迅速に都市度分けすることで地図を作成する方法を、ウガンダでの実例を用いて開発し公表しました。これは様々な国の様々な分野で応用検討して頂いているようです。
2013年からは、1956年のわが国での撲滅から60年以上経過した狂犬病について、清浄国としての対策のあり方を検証するために研究を実施してきました。具体的には、日本での記録に残されている限りの過去の発生状況を集積し、特に大正から昭和初期にかけて大阪で猛威を振るったアウトブレイクについて、感染症学的に流行を定量化し、現在の常在国での知見の応用について考察しました。次に、この大正時代の感染力を示す基本再生産数R0(一頭の感染犬が発症させる犬の頭数)を用いて、今日本に万が一検疫をすり抜けて狂犬病感染犬が侵入してきた場合、発症して何頭の犬に狂犬病が拡大するか数理モデルを用いて予測しました。またこの際に何人が狂犬病発症犬に咬まれるか、そして犬への狂犬病予防接種を中止したとしたら、何頭の犬に感染が拡大するかについても予測しました。この研究により、改めて狂犬病の恐ろしさをリアルに感じました。犬飼育方法の大きく変化した現代の日本では、狂犬病侵入時の感染拡大はワクチン接種無しでもほとんどの場合制御可能な程度で終息するでしょう。しかしながら、狂犬病の危機意識のない今、万が一国内に狂犬病が侵入した場合、咬傷を受けた人の中から一人でも死者が出る可能性、またパニックにより全国的にワクチンが枯渇する事態に発展するリスクは高いと思われます。今後非常に低い侵入リスクの現状も踏まえて、定量的リスク評価に基づくわが国の狂犬病対策の議論が活発に行われることを期待しています。
2014年には、全国的な流行となった豚流行性下痢(PED)について、鹿児島県および宮崎県での流行初期における、農場間感染拡大のリスク因子を、症例対照研究を用いて明らかにしました。当時PEDは世界的な流行となり、カナダでは汚染された餌による発生拡大が見られたこともあり、わが国では様々な感染ルートによる感染拡大が懸念されていました。研究の結果、餌や精液の汚染が原因ではなく、共同堆肥施設の利用や家畜排泄物運搬サービスの利用など、糞便中に含まれるPEDウイルスによる機械的な伝播、またと畜場における交差汚染が原因で感染拡大したことが明らかとなりました。またPED発生中ワクチンが入手困難になり、発生農場で死亡哺乳豚の腸管ミンチなどを用いた母豚への免疫付与、「強制馴致」が行われました。本方法は野外ウイルスを広く拡散させる恐れがあり農林水産省では推奨されていない一方、管理獣医師の指導の下で効果が見られているとの報告がある方法です。当ユニットでは、鹿児島県と宮崎県の協力を得て、前述の研究データと県の発生データを用いて、強制馴致の効果について疫学的に検証しています。
エキノコックスは北海道に広く分布するアカギツネとエゾヤチネズミに蔓延して感染環が維持されており、毎年約20名程度の新規感染患者が発生し重篤な肝機能障害を起こす人獣共通感染症です。当研究ユニットでは、まずは未だ確立されていないアカギツネの生息数推定方法について、2013年から2018年にかけて継続して根室地域で調査を実施し、キツネ糞便数のカウントと地域の生態学的条件、そして北海道が継続調査しているキツネ繁殖巣の位置と照らし合わせながら検討を進めています。キツネの排便と生態学的条件との関係はほぼ明らかとなっており、学会賞を受賞するなどその取り組みが注目されています。キツネ生息数の把握には、すでに確立されているキツネ糞便中のエキノコックス虫卵検出と併せて人への感染リスクを提示するのに役立ち、駆虫薬の適正な散布数、地域全体の有病率計算など、応用範囲が広い課題となっています。
2016年からは、JICA草の根技術協力事業「ムバララ県安全な牛乳生産支援プロジェクト」が採択され、ウガンダ国ムバララ県にて、(1)搾乳衛生技術、(2)牛の栄養・繁殖管理技術、(3)東海岸熱対策の向上による牛乳生産性および安全性向上を目指すプロジェクトを展開しています。これまでに潜在性乳房炎、繁殖障害、東海岸熱媒介ダニ薬剤耐性を起こすリスク因子解析を終了し、介入パッケージの普及を実施しています。搾乳衛生に関しては、水の出る牛舎から離れた場所でも搾乳前の乳頭清拭が衛生的に行えるよう、「モバイル一頭一布」技術を考案し、日本の市民の皆様からお送りいただいた布を参加農家に手渡しし、日本とウガンダの市民交流を推進しています。
2015年度からは牛マイコプラズマ性乳房炎の発生リスク因子について調査を進めてきました。疫学的には搾乳衛生の向上が効果的予防に有効なことが示唆されており、換言すれば農場内環境中にマイコプラズマが存在している可能性があると言えます。現在子牛の時の肺炎や中耳炎の影響についても解析を進めています。2016年には、道東地域の牛サルモネラ症のリスク因子について解析し、報告しています。山形県においてはNOSAI山形と共同で牛レプトスピラ症の浸潤状況およびリスク因子を解析しています。また2017年からは、日本の牛群に広く蔓延してしまった牛白血病について、それぞれの酪農場での制圧対策策定に有用な生産者と担当獣医師間の双方向コミュニケーションを支援するための数理モデルを開発しています。
酪農学園大学獣医疫学ユニット(2013.05.17)|